今回はドイツの歴史的建造物とモダンな建造物をご紹介します。

ドイツでは多くのユニセフ世界遺産が登録されており、登録数では世界4位となっています。その中から完成後139年、建設開始からは700年以上が経過するケルン大聖堂と、近代建築からはデュッセルドルフのライン川岸にそびえるライン塔を取り上げてみます。

1.  ケルン大聖堂

正式名称は“ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂”、聖ペトロと聖マリア大聖堂の意味で、ゴシック様式の建築物としては世界最大です。

1-1. ケルン大聖堂の歴史

現在大聖堂が立つ土地は、現地のキリスト教徒の中心的な場所だったようで、過去何度も教会が建てられては建て直しを繰り返していたようです。

もっとも古い教会は4世紀ごろに完成したようで、現在の大聖堂は3代目となります。

3代目の大聖堂は、2代目が火災で焼失した1248年に建設が始まり、16世紀の財政難による工事の中断などがありましたが、建設開始から600年以上を経た1880年に完成しました。

157mの高さの大聖堂は、建設当時エジプトのピラミッドを超えて建造物として世界一の高さを誇りました。

この大聖堂は、世界遺産登録基準の以下の項目を満たしたと認定され、1996年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

  1. 人類の創造的才能を表現する傑作。
  2. ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  3. 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

引用:Wikipedia「ケルン大聖堂」

1-2. 主要寸法

  • 全体の縦幅:144.58 m 、全体の横幅:86.25 m
  • 南塔の高さ:157.31 m 、北塔の高さ:157.38 m
  • 建築面積:7,914 m²

引用:Wikipedia「ケルン大聖堂」

1-3. ケルン大聖堂の不思議

ケルン大聖堂の本体には、残念ながらこのサイトの名テーマであるコンクリートは使用されていないようです。全体が石積みによって構成され、石材として安山岩、玄武岩、砂岩、石灰岩の4種が使用されています。

外観を見ると新しい修復箇所もあり、セメント系の材料で作られているのかな?と思いましたがさにあらず。元来の建築様式を守っているようです。

不思議なのはこの大聖堂の地下には広大な地下駐車場があることです。

この巨大な石積みの建築物を支える地盤にぽっかり空洞が?しかも地下駐車場にある柱の数もそれほど多くはなく、太さもさほどではありません。

いったいどのように荷重を支えているのでしょうか…?

2. ライン塔(Rheinturm)

歴史的な建造物の後は、近代的な建築物“ライン塔”です。

デュッセルドルフ中央駅から車で約10分、ライン川ほとりの旧市街に立つライン塔は、デュッセルドルフのシンボル的な建築物です。

1979年に電波塔として建設が開始され、1981年に完成しました。完成当時の高さは232.4mでしたが、2004年に頂部にアンテナが追加され現在の高さは240.5mです。

塔体はコンクリート製ですね。

建設にはおよそ7,500m3のコンクリートが使用されたとの事です。

ライン塔を見ていると函館の五稜郭タワーを思い出しました。

こちらはコンクリートの型枠を上方にスライドしながら躯体を上げていくスリップフォーム工法で造られていますが、ライン塔も同様の工事だったのでしょうか?

ライン塔の塔体をよく見ると、型枠の継目と思われる跡が縦横に見られます。

ということは1リフトごとに型枠を組んで打設していったのでしょうか…?

上方に向けてテーパーがついて細くなっていくデザインになっていることからも、期間を要する難しい工事だったのではないかと想像されます。

3. まとめ

ドイツには非常に多くの歴史的建造物や名建築が存在しますが、その中からケルン大聖堂とデュッセルドルフのライン塔をご紹介しました。

ケルン大聖堂などの建築様式は、15世紀から16世紀にかけてイタリアを発祥としたルネサンス様式と対比されゴシック様式と呼ばれました。

ゴシック様式とは、元々「ドイツ風の」あるいは「ゴート風の」という意味の粗野で野蛮なものという意味の蔑称でしたが、18世紀になると構造力学的な視点からその合理性が再評価されました。

ドイツの建築物はほんの一部しか目にすることは出来ませんでしたが、そのデザインや佇まいからは質実剛健、合理的、実用主義といったドイツ人に脈々と受け継がれる思想を感じ取れました。

ちなみに、ライン塔の傍らに立つ意匠性あふれるこの建物群、調べてみるとこれはやはりドイツ人の設計によるものではなく、アメリカ人の建築家フランク・ゲーリーの手によるものでした。

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